日々書にまつわることで感じたこと、気づいたことを折々にお話しします

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宮城野書道会
〒983-0045
宮城県仙台市宮城野区
宮城野一丁目12-28
TEL.022-256-0827 (教室)
(受付時間:10:00~17:00)
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▼受付時間外はこちらまで
TEL.090-5844-0548 (携帯)
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・書道教室
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書の散歩道

 

2017宮城野書道会新年交歓会

2017宮城野書道会新年交歓会
 

書にまつわる普段感じていることなどを気ままに掲載します

書にまつわる普段感じていることなどを気ままに掲載します
 
模倣と創作
 書はほとんどの過去の書人が行ってきたように、その技法の習得過程において、臨書によって書技を磨き、見識を高めるという段階を経るのが一般的です。
 したがって臨書を離れて創作という場面になっても、その経験が創作の基礎となるのは当然といわなければなりません。しかし、また逆に臨書の場合においても、自分なりに古典の精神を解釈して表現することになれば、そこにはすでに創作的な要素を含んでいることになります。 
 このことによっても、創作と模倣の隔たりは程度の問題と見られ、比較的に模倣が少ない場合は創作といわれるに過ぎないかもしれません。もとより書作品の制作態度としては、創作を尊ぶべきであることはいうまでもありません。陶芸家の唐九郎は「下手は下手でもオリジナルだ」と言いましたが、意識して模倣するのは、古典の研究や技術の習得のためとか、学習目的の場合に限られなければならないでしょう。自己の作品として世に示すときはあくまで独自性を重んじることが必要です。このため、現在公募展などは臨書部を設けている場合は別として、臨書作品は受け付けないことが一般的です。 しかし公募展はじめ多くの書道展の実情は、指導者の手本に基づいて制作されたものが多いのが現状です。これは先ほど述べた、創作と模倣の隔たりが程度の問題で混沌としていて、また現在の多くの書道展が、条幅作品制作のための技術習得といった学習段階の延長線上にあり、ここに書作品を評価する難しさがあります。
 さて、指導者としての自分となると、教室では生徒に書道展や昇格試験の手本を与えています。そのほとんどが、一枚書きで手本というには語弊があります。あくまで文字素材としての参考書きに過ぎないのですが、与えられたほうは、手本を金科玉条のごとくそっくりに写し取ろうして努力します。その結果、自分でお気に入りの部分は似ておらず、癖ともいえる悪い点ばかり、忠実に再現いることが多いものです。生徒さんが私の手本で書いた作品を見て、自分の書を反省している次第です。
 
 
 
書の題材としての漢詩について
 日本の書壇は一般大衆にも読めて理解されやすい、調和体や近代詩文書といった書の普及に取り組んでいます。これは今後の日本の書の将来を考えて非常に重要なことです。一方で漢字作家は、書の美術性を如何に高めるかに腐心して、漢字作品の題材の漢詩などの文学性を軽視する傾向にあるのではないでしょうか。
 日頃、伝統書を主体に勉強し漢詩を積極的に書いている私たちでも、詩文は読めなくてもよいといった態度をとりがちです。一般の鑑賞者と作家との溝は結構深く、作家は可読性や書の一般大衆化とは逆に、古典を掘り下げて専門的、独善的になって他の作家との差別化を図ることに躍起になっているように感じます。特に漢字作家は漢詩を文字素材としてのみ扱うため、自分の書いた漢詩の内容に無関心である人も多いのではないでしょうか。例え読めたとしても、その詩の背景や詩の作者の感情や時代背景まで踏み込んで理解している人は、現在では少数派でしょう。
 そこで、小誌「書の光」では『漢詩を味わう』と題して、連月漢詩が作られた時代背景や作家の境遇まで踏み込んだ解説を試みています。無論、私も漢詩に関して素人で、自分自身勉強しながらの編集で試行錯誤の連続ですが、まずは皆さんが日ごろ勉強している書の題材にもっと興味を持ってもらいたいと思っています。漢詩も掘り下げて読むと、人間ドラマ満載で面白いですよ。

 

 
楷書を考える
   漢字の書体は大雑把に楷書、行書、草書、隷書、篆書と分けられます。そんななかでほとんど書の基礎は楷書から、ということになるのですが、この楷書が意外と曲者です。小学校で初めて筆をもち、まず決まって一の棒を練習することが多いようです。安定しない柔らかい筆を使うことがまず難しいのです。大人でも一の棒もきちんと書くことは難しい、さらに永字八法とも言われる基本点画をマスターして、さて筆で上手な字が書けるのはいつの事やらと思ってしまう初心者が大半だと思います。土台、墨を含ませた毛筆を合理的に動かして楷書という紙に定着した線でもって形を整える練習をするのですから難しいのに決まっています。

もともと字は符号であって、一本の線を引いて、一をあらわし、三本引けば三という数をしるしたまでで、一の横棒の正しい筆遣いなんて誰が決めたんだ、なんて言う愚痴も言いたくなります。楷書のよくトン・スー・トンといった運筆法が王羲之によって開拓されて、唐時代に確立された。などという書論を述べている解説書もあり、間違いではないと思いますが、これは、用筆上の便宜から必然的に到達した方法であることに気が付くには、楷書を相当マスターしてからのことだと思います。

書の美を考える目安として「形」と「動き」そして「変化」と「統一」があります。楷書は統一性、規則性を尊ぶ書体です。「動き」と「変化」よりも「形」と「統一」をまず念頭に考えなければならず、ちょっと堅苦しい書体とも言えます。楷書の楷は「のり、てほん」の字義をもち、各書体の中でもっとも法の備わった厳格な書体です。書の歴史の中で、篆書や隷書は石などに彫られた書体と、草書や行書のように紙に書かれる書体と二つ流れがあります。そのなかで楷書は紙に書かれるにも、石に刻されるにも似合う書体なのです。このため、まず楷書から始めて、その先にある自分の好きな書体へと進む足掛かりとするという考え方も成り立つと思います。昔は楷書十年などとよく言われ、楷書をみっちり十年かけて習い、筆遣いの原理を楷書で体得してから、ほかの書体へと進むのが王道とした考えもありました。しかし嗜好の変化の速い現代では、まず楷書だけ根気強く習うことは難しいことですし、プロの書家は別として、それが趣味と教養のための書として大きな意味があることとは思えません。

 書を始めるきっかけは最近の美文字ブームで、美しい字を書きたいという人と、どちらかといえば、心を遊ばせ、自己表現として手段として書を考える人と二分されるのではないでしょうか。後者の立場の人は、この堅苦しい楷書から早く脱出したいと考えるのは当然です。

 実際、楷書で作品を書くには、非常な鍛錬と根気が必要となります。それでも苦労して出来上がった作品で高い評価を得ることは至難といっていいでしょう。その難しい楷書を入門していきなり始めるのですから大変です。最近は書道展で楷書作品を目にすることが少ない状況も肯けます。隷書や篆書などより装飾性が乏しく、変化領域も限られている割に、作品化して評価を得ることが難しいということは、逆に書人にとって憧れの書体と言えるかもしれません。本誌でも楷書を規定課題としていますが、ぜひ用筆の基本として毛嫌いせず取り組んで頂きたいのですが、楷書だけで終わるのではなく、行書や草書、そして隷書と各体にも挑戦してください。書の楽しみが広がると思います。とくに「動き」と無限の「変化」を重視する行草体は、自由度が高く個性を発揮しやすい書体です。そして古典の臨書を中心に据えて勉強することによって書への興味も倍増すること請け合いです。

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